きざはしの彼方

セカイ系催眠術師であるオタク男子のブログ。催眠術についてエモく語っていきます。

心を開く、ということ

 僕の数少ない友人にりしぇくんという奇特な男が居て、ちょくちょくお互いに奇特な精神論なり恋愛論なりを語り合っていたのですが、つい先日「スーパーペーパーマリオのプレイ動画を見て、私は愛に目覚めた」と言い出して本当に奇特な人間は奇特な結論を出すんだと思いました。

 よくよく話を聞いてると「心の防衛網みたいなの壊れた」みたいなこと言い出して、マジで宗教のアセンションじゃねーんだからって僕は感じたわけですが、実は僕もほんとつい最近全く同じ経験をしてまして。

 そう……あれは(回想シーン)、ちょっと前の出来事だ。諸君は脳のテンションと心のテンションがズレたことがあるだろうか、僕はある。地元への引っ越しが終わり一段落したところで「あ、久々に催眠掛けたいなー」って思ってTwitterにそう書いたら、僕の親愛なる師匠さまであるぶっぱさんから「お、やってくれたまえ」みたいなチャットが飛んできた。でもって、部屋の準備を整えていざ通話を始めたのだが、一向にテンションが上がらない。かろうじて誘導を始めるんだけど、何か深い違和感と一緒に悲しみなのか悔しさなのかよくわからん感情と共に言葉を吐き出すしかできなくて、導入が終わったあたりでぶっぱさんから「調子悪いんですか」と心配される始末。なんかどん詰まり感を感じて弱音を吐いてたら、向こうが僕に暗示を掛ける流れになって「今までの成功を思い出して、これからやることが上手く行きます」的な感じの暗示を掛けられた。それを受けた瞬間、自分の中で今までの失敗した感覚がすごい勢いで蘇ってきて、喜怒哀楽全部の感情がバーストした感じになって頭のなかがぐしゃぐしゃになってこれは死ぬわ的な気分に支配された。そのあとなんか色々話してスカイプ解散したけど、そこはどんな事を喋ったか覚えてない。ただ、「君の調子が安定してからもっかい声掛けてね」って言われたのは覚えてた。通話が終わって、夢遊病者みたいにフラフラ歩いてベッドに倒れこんで、ぼんやりと自分の人生を思い返していた。幻視の中に浮かぶだだっ広いグラウンド。僕の失敗の歴史の初めは小学校の時のソフトボールからであった。周りの体格の良いメンバーが上達する中どれだけ練習しても、レギュラーになれなかった日々。それからも大体僕の人生は失敗と挫折と諦めの繰り返しであった。そんな事を思って、思って思って、で、なんかぐるっと一周して、急に「ごめんなさい」という感情が生まれた。失敗して迷惑を掛けてきた人たちへの謝罪、そしてもって、何も成せなかった自分自信へ。口に出して「ごめんなさい」と言ってみた。久々に涙が出てきた。

 そこからは、なんか自分の催眠が良い感じに新しいステージに入ったと思う。それまで失敗すること、嫌われることが怖くてずっと習った言葉と動作をだけを繰り返していた。それは、学習という名の檻に閉じこもることだ。師匠の褒め言葉のために、自らを見世物として飾り立てる努力。承認は本当に毒だ。どんどん温かい沼の中から出られなくなるような感じ。しかし、その外に出たからってどんなメリットがあると言うんだろう。

 こうして心がバーストしてから、他人の感情を素直に受け取ることができるようになった。催眠の質は上がったかといえばよくわからんけど(お花畑じゃねえかとぶっぱさんには言われた)、とにかく相手と自分の意識の沈み具合がうまいこと混ざって大分楽しくできるようになった。前は催眠を掛けるたびにヘトヘトになっていたのだが、今は特にそんなことはない。

 昔からあなたは人に心を開かないと、みたいな事をよく言われるし、催眠を覚えてからは自分もよく他人に言う。だけども、それをやるにはまず自分の心の存在をしっかり確かめる必要がある。心を開かずに外側から投げつけるだけの言葉は暗示でなくただの命令である。そして、それを掛ける・掛けられる事に求める人が大勢いるのもなんとなくわかる。"自分自身で考えた言葉"なんてものにどれだけの価値があるのか。僕自身もわかっては居ない。ただ、そこには現在がある。人から与えられる言葉は全部過去の言葉だ。過去の言葉で今を動かすこと、それはとても難しくて滑稽なことだろう。

 ここのところずっと、「今がそれなりに幸せだから何もしない」人にどう働きかけるかを真剣に悩んでいる。それができれば、もっと自分の誘導の質、というか射程距離を上げれるからだ。そのためにも、自分と相手の心の動きを見つめて、今何を語りたいかをちゃんと見極めたいと思った。