きざはしの彼方

セカイ系催眠術師であるオタク男子のブログ。催眠術についてエモく語っていきます。

「なんで催眠をやってるんですか?」

 という質問を人に投げかける事が多い。人に投げかけることが多いくせに自分は答えられないという体たらくだったので、このブログを借りて頑張って言語化してみようと思う。

 「気持ちいいから」では多分無い。いや、断じて無い。お前は気持ちいいから趣味を続けるのか。音ゲーでノートを綺麗に叩いてゲージを残すのが気持ち良いか? カードゲームで相手に悔しい顔をさせるのが気持ち良いか? まあ広義の気持ちよさには入るのかもしれないが、多分この気持ちよさとは恐らく違うもののように思われる。

 いきなり話は脱線するが「脳内麻薬には依存性は無いので催眠には依存性は無い」って本当なんだろうか。僕のTwitterを見る限り「身体が求める……催眠という快楽を」みたいな人間がめっっっっっっっちゃ居るんで絶対嘘だと思うんだけど。じゃあ逆に「麻薬ぐらいヤバい」ってなったら世の催眠術師は麻薬の売り手みたいな扱いをウケるんだろうか。「奥さん、今日はヤバいやつ来てますよ。ほら目を閉じて……」以下略。依存性、それは僕が毎日コカ・コーラゼロを2本ぐらい飲んでるのと同じ感じなんだろうか。いや、これでも頑張ったんですよ。普通のコーラを飲み続けたら死ぬという事ぐらい僕は知ってたんで頑張って2L2本から500ml2本に切り替えて、最終的にコカ・コーラゼロに切り替えました。ゼロに切り替えたら「普通のコーラ?あんなベトベトした甘い液体飲めねーよバカ」みたいな気分になったし、その内お茶とか味のしない炭酸水を飲んで「あんな味のする液体飲めねーよバカ」とか言ってるんだろうな僕は。

 違う、そういう話じゃないんだ。僕はあまり肉体的な快楽に対する体制が低くないらしく、とりま一週間に7回ぐらい抜けば満足するみたいである。追加で催眠でどうこうしようという気にはあまりならない。

 ならばなぜ、催眠をするのか。謎である。人がやってるからなのだろうか。とりあえずそれはまあ有るんじゃないかと思う。催眠は現実として面白い。僕のような根暗ゲーム大好き文系少年の心をこれでもかとくすぐってくれる。勉強をする、覚える、人に実行する。この所謂PDCAサイクル的なアレ(全然違うけど)ができるのは楽しい。めっちゃ楽しい。これは近い。近いけど、催眠である必要があるのかと言われればわからない。音ゲーとかもこんな感じの取り組みである。予習して復習してあたって砕ける。

 催眠をする人は、今のところはという注釈がつくけども、皆何かが欠けている。欠けている何かを満たすために催眠をする。他人を求める。操る。操られる。催眠とは重力の否定である。術者の数字のカウントによって、被験者は彼・彼女の重力を否定される。否定されるから、ふわふわとした浮いた状態になる。それそのものが気持ちいいという人も居るし、そこから性的な快楽のサラダボウルにじゃぶじゃぶとぶち込まれるのが気持ちいいという人も居る。あるいは、自分自身というこれまでの人生の積み重ねという一つの重力から解放されて喜ぶ人も入れば、常識というこれまた一つの重力から自らを解放されて涙を流す人も居る。

 ここで強調しておきたいには、あくまで重力をを別の力で否定しているだけで重力を無くしているわけではないということ。たまに、居る。術者がなんらかの理由で、重力を読み違えたり、自分の力を見誤ったりして、被験者を空の彼方に飛ばしてしまう人。そうなってしまうと悲惨で、もうその被験者は自分がどんな重力の世界で生きていたかを忘れてしまう。常にふわふわと歩くか、あるいは地面にべちゃりとなって生きるか。それはわからない。僕にはわからない。

 わからないんだ。何を求めて催眠をしていたか。

 でも、催眠を理由を一つだけ今思い浮かんだ。催眠が怖いからだ。

 催眠が怖いから催眠をする。泥沼というよりかはスパイラルである。怖いから知る。怖いから識る。意識と無意識の間に入り込もうとする貴方の事を識ろうとするのだ。催眠を学ぶとわかることがある。世界は催眠で満ちているということだ。テレビのCM、インターネットの広告バナー、人、人、人の、おしゃべり、声、話し方、立ち振舞。あらゆるものが誘導に満ち溢れている。テラリアってゲームでペンチを持つとスイッチに繋がってる動線が見えるようになる感じで、催眠というスキルを持つとあらゆる誘導の動線が少しずつ見えるようになる。

 自分が催眠をできるようになると、催眠が存在するという事実が怖くなる。いつか親家族兄弟姉妹恋人友人その他が誘導されてなんか怖い組織とかに捕まったり、怖いお兄さんに連れて行かれたら嫌じゃないですかね。病気とか怪我ならそれ専門の人に連れて行けば良いけど催眠はわからない。心療内科か?だから、僕は催眠をしている。個人的な目標としては、このまま催眠を極めてあらゆる催眠を解除する人になっていきたいという気分もある。

 理由は一つ浮かんだけど、これはそんなに強くない。消極的で臆病な理由だ。

 理由がわからない。

 わからないんだよな。

 それで、そうなんだ。わからないから僕は催眠をしている。自分の事がわからないから催眠を続けている。催眠のおかげかどうかは知らないけど、最近自分の事が好きになった。トランスに入ると、自分の事がよく見えるようになる。ここは誘導されてるな―とかここ力入ってるなーとか、ここは癖が凝り固まってるなーとか。そんな感じ。自分の事を分析するのは本当に楽しい。これは、人から催眠を掛けられて快楽を与えられるより楽しい。自分の事が良く見える、自分に感情移入するためにツールとしての催眠。

 そういう、ある種批評的な眼で自分を見てみたいという人が居たら僕は催眠を教えてみたいなと思う。連絡はTwitterのほうまでいつでもどうぞ。土日祝は休日となっております。